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書籍「本なら売るほど」 第12話「雲隠」 言語化の外にあるもの

年若いひっつめ髪の店主が営む、街の小さな古本屋「十月堂」。
棚作りに工夫を凝らしたり、厄介な来訪者に悪戦苦闘したりしながら、今日ものんびり営業中です。
人の手を渡り、時を超え、今なお次なる読み手を待っている本のために。

 

「言語化」が日常用語、いや、現代社会の生存スキルとしてSNSや書店で目にしない日はなくなった。

「三省堂辞書を編む人が選ぶ『今年の新語2024』」で大賞を受賞したけれど、それまで辞書にも掲載されていなかったとか。

 

これからも、日本で主流だった空気や文脈重視のコンテキスト文化が機能しにくくなったり、さらにSNS全盛になっていくなか、言語化はさらに重要な生存スキルになるだろうし、これはポジティブに受け入れるべきことなんだろう(自分も仕事は言語化できるかどうかみたいな環境にいる。他の人の言語化をみるのも楽しい。)

 

ただ、世の中のすべてを言語化できるわけではなく、またその能力も千差万別だから、言語化されないこともたくさんある。これをなかったことにするのはあまりに暴力的だ。

これからは、言語化が重視されるほど、言語化されないこともあるって忘れずに汲み取る力もまた重視されることになるんだろう。

もともと、コンテキスト文化の日本、ここに言語化が加わることで、いってみればハイブリッドなコミュニケーションが進むかもなんて、今後を楽しみにしている。

コンテキスト文化の「空気や文脈重視」というと、「同調圧力」的なネガティブなイメージもあったけど、これからはポジティブにアップテートされるのでは。

 

「本なら売るほど」第12話「雲隠」では、そんな言語化されなかったことが描かれる。

本文のないサンプル本である「束見本(つかみ本)」、これをまたとない宝物にしていた元小説家(自称)、源氏物語で本文はないけど巻名だけが伝わる「雲隠」、これらを絶妙に紡ぎあげる登場人物の台詞、そしてその先にある言語化されなかったこと。

 

そういえば、4分33秒という曲(ジョン・ケージ)があるけど、これは、指揮者から音響の指示がないため、演奏者は音を出さないまま終了する。

この第12話にも通ずるかなんて思ったけど、この曲の意図は、聴衆が曲ではなくその場に起きる音を聴くことで、「沈黙とは無音ではなく、意図しない音が起きている状態」を感じることにあるとか。

「意図しない音」は実際に存在するものだから、「雲隠」における空白に実際に存在しないものをみることとは物理的に異なるようにみえるけど、本来あるはずのものの外側に何かをみいだすという意味では同じかも。

 

「言語化」とともにその外にあるものの大切さに気づかせてくれるお話し。