2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶――黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな〝シノギ〞に手を出すことになる。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい......。
引用:中央公論新社 『黄色い家』川上未映子 特設ベージ
『黄色い家』といえば、ゴッホのアルルでの夢と希望が詰まったこれ。
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その夢と希望は、ゴッホの耳切り事件で終わりを迎えた。
川上未映子さんの『黄色い家』も同じだ。
主人公花の夢と希望が詰まった家だったのに、いつしか瓦解していく。
そこには、10代後半の花が、その生い立ちゆえに家族を求め、なのに家族を知らなかったがために、自ら崩壊の引き金を引いてしまった哀切が描かれる。
主人公花は、貧困と同居する母のネグレクトのなかで生活する少女。
夜の仕事をしている母の収入は不安定、帰宅も不定期、さらに交際相手に振り回されてもいて、物心ともに生活能力を欠いている状況がこれでもかと詳細に描写される。
そんななかでも花は、自分なりにまっとうに生活しようとする。
バイトに精を出し貯蓄に励み、母の知人である黄美子の生活ぶりをみて素直に見習う感受性もある。
ここでも、ファミレスでのバイトの状況、黄美子の日常家事や地元ヤンキーと渡り合う姿に花が惹かれている様子が詳細に描写される。
しかし、ある事件をきっかけに、母との生活に見切りをつけた花は、まだ高校生ながら、母のもとを離れ、黄美子とスナック「れもん」を開店、一緒に生活することになる。
家族の定義はいろいろだけど、喜びや悲しみを分かち合ったり、それぞれの役割を果たし合って、自己肯定感を醸成、孤独感を軽減することに変わりはないだろう。
まだ高校生の花が、母との生活やこれにまつわる事件に絶望し、黄美子との生活にこれを求めたことは当然のことだった。
これを物語のベースとすると分かりやすく思う。
お金、犯罪、なかなか抜けられない生活層等々様々が描写されるけど、すべては花が、自覚しているかどうかは分からないけど、家族を持ちたいという思いに収斂される。
黄美子との「れもん」の経営は順風満帆。
あこがれの年上女性の琴美、兄貴分の映水(ヨンス)とも知り合い、新たなスタッフとして花と同年代の蘭や桃子も迎える。稼ぎも順調。
警察がやってきてドキッとすることもあったけど、そんなの大丈夫。
そこで、『黄色い家』。
花は、黄美子、蘭、桃子と一緒に生活する借家をサプライズで準備。
かねてからのラッキーカラー、黄色で塗装した家は、まさに花の夢と希望が詰まった家だった。
ここから4人で「れもん」に出勤して稼ぎ、楽しく生活する。
花が母との生活では得られなかった、喜びや悲しみの分かち合い、自己肯定感の醸成、孤独感を軽減がそこにはあった。
しかし、その崩壊の予兆は見え隠れしていた。
花は密かに黄美子の衰えを感じていた。最初に出会ったころの黄美子はもっと頼りがいある大人の女性にみえたのに、そうでもなくなった。これは、黄美子が衰えたからか、あるいは花の成長に伴い黄美子を昔ほど仰ぎみる存在に思えなくなったからか。
実際の親子関係でもありそうなこと(自戒)。
また、蘭や桃子には、いざとなれば戻るべき家族がいた。蘭には貧乏ながら蘭のことを気にしてくれる家族がいるし、桃子にも一方的に忌み嫌ってはいるけど金持ちの家族がいる。そんな二人には『黄色い家』は家出先でしかない。ここでしか家族を得られない花とは違う。
そんな不安要素ではなく、二人の紹介として、けど後から効いてくる描写として秀逸。
そして、それは現実のものとなってしまった。家族を求めて必死になるあまり、花は、狂気じみた精神状態に陥っていく。
「れもん」が火災で焼失し、4人は稼ぐ術を失う。
『黄色い家』を維持するには、「れもん」を再建しなければならない。そのためには金がいる。
花は、映水(ヨンス)からの紹介をきっかけに、偽造カードの出し子に手を染める。
花は、当初罪の意識に躊躇していたが、やがてそんな意識も薄まり、ついには蘭や桃子も誘う。
ようやく『黄色い家』で手にいれた家族。
花はその維持のためと言いきかせて犯罪に手を染めていった。
それは、花にとって、喜びや悲しみを分かち合い、自己肯定感を醸成し、孤独感を軽減する場を手放したくないことの表れだったのだろう。
久々に連絡をとってきた母から、金を無心されたことも、『黄色い家』しかないと改めて思わせた出来事だったかもしれない。
もちろん、4人で地道に働いて稼ぐという手もあっただろう。
しかし、母のもとで当たり前の家族生活を送れず、家出同然で飛び出したことがここで効いてくる。
花には、困難に直面したときに家族で助け合って乗り切ったというモデルケースがない。むしろ、自分でなんとかしなきゃというタイプ。
高校中退で学歴もなく、公的な身分証明もない。
そんな花には、自分が頑張るしかない、けどまともに働くことは難しいと考えても仕方がないことである。
出し子の仕事は順調だった。
しかし、やがて4人の関係にひずみが生じる。
そもそも、花のなかでは黄美子は戦力外。また、蘭や桃子は今後のことを真剣に考えない頭の弱いやつらと映っていた。
けど、蘭や桃子が、今後のことを花と共有できないことは当然のこと。
だって、蘭や桃子にとって、『黄色い家』は家出先でしかない。花みたいになんとしても維持したい家族なんて思うはずがない。
それが分からない花は、蘭や桃子の軽率な仕事ぶりをきっかけに、強硬策に出た。
これまでお金を管理してきたことに加え、蘭や桃子の行動を制約し、報告を義務づけるようになり、黄美子には監視役を命じた。
出し子は、『黄色い家』で家族を維持するという目的のための手段でしかなかったはず。なのに、出し子での稼ぎに傾倒するあまり、支配する側とされる側という家族に相容れない関係を持ち込んでしまうとは。
家族を知らないゆえ、他人に家族を一方的に夢想し、これを強い、みずから崩壊させてしまった瞬間であった。
そして、その崩壊は琴美の死をきっかけに噴出する。
蘭や桃子は、花の行状に呆れて稼ぎの山分けを要求し、すべては大人の黄美子のせいでこうなったと主張。
夢想していた家族を失うことになった花も混乱のなかこれを受け入れ、黄美子を残して『黄色い家』から出て行ってしまったのである。
手に入れたはずの、自ら必死になって維持してきたはずの家族を失った花の絶望は、その心に大きく影を落としたであろう。
すべては、母との家族関係が出発点であった。
20年後、花は、黄美子と再会を果たし、一筋の希望を見いだした。
花は、『黄色い家』を失い、母を亡くし、また琴美を夫婦で死なせたのは自分のせいと考え心に深い傷を負っていた。
しかし、20代の女性を監禁して傷害を負わせた罪で黄美子が起訴されたという記事を目にした花は、これまでの顛末を思い出しつつ、映水(ヨンス)から聞いた住所に黄美子を訪ねて再会する。
かつて、「ついてくるか」と誘われて家出した花。同じように黄美子を誘ったら断られる。
しかし、花は、帰りの道中、安心したかのようにまどろんだ。
蘭や桃子とは異なり戻るべき家族のない黄美子だが、それでも「ここにいればみんなに会える」と花の誘いを断った。
花は、もう家族を抱え込む必要はないとその言葉に安心したのであろう。一方で、また会えるとの希望も見いだしたようにも思える。
それは、自分を苛んできた家族の呪縛から解き放たれた瞬間であった。
本作には、お金、犯罪、1990年代の風俗等々が詳細に盛り込まれた。
当時を生きてきた自分にもありありと当時を浮かび上がらせる詳細な描写だけでも読み応え十分である。
そのなかで描かれたことは、家族を知らないがゆえに、家族を求めた少女の哀切である。
昨今の格差社会でいえば、家族格差ともいおうか。どのような格差でも自覚できれば対処のしようもある。けど、それを自覚する素養を育む家族生活がなければそれも難しい。
花は、黄美子との再会を果たし、家族の呪縛に一区切りをつけた。ここには希望を見いだせる。
しかし、40代の花が今後どう生きていくのか。
母との家族生活、4人での歪んだ共同生活のなかで、花がとりこぼしたものはあまりにも大きい。
元来、まじめで責任感の強い花であればなおさらである。
いろいろな形はあれど、家族の役割を見直すきっかけになる作品でもあった。